桐朋学園 大学学長、東京文化会館館長など歴任。芸術院会員、文化功労者 故 三善 晃 先生
ピアノとピアニストとピアノ音楽を愛する上野さんは、ピアノの申し子。19世紀のマイスターたちのように、上野さんはピアノと会話し、ピアノの幸せのために献身する。ピアノにも幸不幸がある。楽器は敏感な生き物だから、人の気づかない微妙な条件の変化で、ご機嫌になったり、ふさぎ込んだりする。ピアノもその巨きくて堅牢な外観からは想像できないほど繊細な楽器だ。そのことに気づいていないピアニストに弾かれるピアノは、可哀想にいい音を出せない。
スティマー・ザールの豊饒な響きの中で、上野さんはピアノを育てる。スティマー・ザールそのものが一つの楽器になって、ピアノの幸せな歌を奏でている。全体が楽器のようなこの空間に、音楽教室を開かれるという。子どもたちはここで、幸せなピアノとすぐなかよくなって、彼ら自身が幸せなピアニストに育ってゆくだろう。
2015年08月07日
2015年06月16日
2015年05月19日
時間帯 | 平日 | 土曜日 | 日曜日・祝日 |
---|---|---|---|
9:00~16:30 | ¥40,000 | ¥50,000 | ¥50,000 |
13:00~21:00 | ¥40,000 | ¥55,000 | ¥55,000 |
9:00~21:00 | ¥50,000 | ¥65,000 | ¥65,000 |
私の考えは、まずよい音に聞こえる為には、残響と云うものが必要だと云うことです。極端な云い方をすれば、良い残響ならいくらあっても良いのではないか・・・とまで考えています。この考えは現在の音響工学の立場からすると、大変奇異な発想と受け取られるかもわかりません。しかし、お風呂の中で歌を歌って気持ちが良いのと同じで、音楽は本来、気持ちの良い残響の中で演るものだ、と私は考えているのです。
では、どのような響きが、ホールには必要なのでしょうか。
私はこの秘密はピアニッシモにあると考えています。奏者が色々なピアニッシモを出せる様な響きを考えてゆく事です。そうすれば、奏者が全神経を集中させて主張したピアニッシモの音色を、聴衆も全神経を集中させ聞ける、と云う状況が出現するはずです。 消え入る様な音に耳をそばだて、奏者と聴衆がその瞬間一体になる、これが本来の音楽の楽しさであったはずなのです。
フォルテはどうするんだ、というご意見もあろうかと思います。
フォルテは出そう出そうとすると音が汚くなるものです。 だから、フォルテは「出そう」とするのではなく、「出るように」する事だと考えました。そうする事によって、体に力が入らず、コントロールされた響きの良いフォルテが可能になります。
次に奏者と聴衆が同じ音を聴いている状況であらねばならないという事です。 その為には聴衆の人数は100名~200名とし、背が同じ音を聞ける響きを創り出す為の様々な工夫が必要だと考えました。
では、どんな建物でどんな空間が理想的なのでしょうか?
私は、いい響きはシンプルな空間から生まれると考えています。複雑な空間ほど音をにごらせます。建物全体をシンプルな楽器と考え、楽器の内部の響きの中に奏者と聴衆が居る様な状況が理想だと考えたのです。そんな空間にするための幾つかの工夫を御説明しましょう。
その他に、素材をコンクリートにしたのは、音を包みこむ為に重量が必要である事と、素材そのものの響きを出すには、ひとつの素材で全てを構成するのがベストと考えたからです。ホールを長方形にした理由は、平面の壁に当たった音の反射を「そのまま」欲しい為です。ホールを2階にもって来た理由は楽器の床に響く直接の振動を「戻す」為、1階の空間が必要だったからです。天井を高くしたのは、全体に音が響く状況をつくる為です。壁は堅木を上に響く木を骨組みとして使い、床を出来る限り平面にし、奏者と一体となって響く様にしました。
つまり、床は響鳴板と考えて工夫したわけです。
考えてみればピアノも、バイオリンも、チェロも・・・みんな本来私の提案している様な空間から生まれて来たものではないでしょうか? バッハもベートーベンもそんな空間の中で演じ、聞いたのではないでしょうか? 中性ヨーロッパのサロンやリビングルームの中で改良され、完成されて来たピアノやバイオリンといった楽器を、もう一度それに似つかわしい空間に置いてみたい・・・。私はそう考えたのです。