

プレイエル社は、1807年にオーストリア人の作曲家であるイグナース・プレイエルによって創設されました。「ピアノとは演奏者の声としての楽器であり、そして芸術品であるべき」と主張したイグナース・プレイエルは、 その生涯を楽器創りに捧げました。 1831年にイグナースが他界した後は、息子カミーユがその跡を継ぎました。 プレイルピアノは、偉大なピアニストでもあった彼の手によって様々な改良が加えられ、 数々の特許を取得し、また国際的に認知されることになります。
プレイエルピアノは多くの著名音楽家たちに愛され続けましたが、中でもピアノの詩人と言われたショパンはさて、プレイエルといえばショパン抜きには語れません。
ショパンいわく「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」 ショパン的にはプレイエルの方が好きだという いうことなのでしょう。その音色を「銀の鈴を鳴らしたような やわらかな音色だ」と表現し、生涯このプレイエルのピアノを愛し続けました。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、 世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで 行なわれています。
当時のプレイエルで ショパンを弾くとなんともいえない美しさを感じます。ふんわりと響きがつく音色はとてもショパンに合うのです。
ショパンが所有していたプレイエルのピアノは1839年製のもので、この楽器は存在している。
また、ショパン自身が晩年(1848年5月6日)に語ったところによると、当時所有していたピアノは、プレイエル、ブロードウッド、エラールの三台であった。
関連書籍
プレイエルの生涯と作品に関する労作は、『ニュー・グローヴ音楽大事典』(w:New Grove Dictionary of Music and Musicians)およびその有料サイトにて閲覧可能である。
アルノー・マリオンによるプレイエルの歴史に関する書籍『Pleyel History with future』

